会いに行く。

それは、まだ紺色のソックスと白いシャツ、赤いリボンの制服を着ていた頃。


ソックスと同じ色のスカートをはためかせ、友達と意味なくばか笑いし、笑う事に命を懸けて、その笑いにお腹を抱えるのが、日常の私たち。


そんな平凡な高校生の一人の私。


そんな私が、ある時、ロバートメイプルソープ展を見に行った。


「見に行ってみれば。」


そう言われ、手渡されたチラシに載ってる写真を見た私は、ギョッとした。


ロバートメイプルソープは、ヌードや花が有名で、その艶かしさには賛否両論ある写真家だ。


そのチラシの写真は。。

高校生の私には、中々。中々。言葉が出ないものだった。


これが良いものなのか?


本当にそう思った。


その頃の私は、ヌードにも花にも、全く興味はなく、ただ「勉強になるよ」と進められたので、なんとなく頷いたのだった。


学校帰り、なんとなく受け取ってしまったチケットを見て、ちょっと面倒くさいと思った。


多分。

強く良さを進められなかったのもあって、素直に見に行く事が出来たのだと思う。


チケットを差し出された時、

間が出来てしまった。


きっと私は困った様な顔してたはずだ。


けれど、その間の中に、笑顔があって、そして、その笑顔には親切さがあった。

なので、私はなんとなく頷いて、チケットを受け取ったのだった。


とある大阪の百貨店。

エレベーターの階数ボタンを押す。


箱はグングン上がっていく。


やっぱり面倒くさい。

階数ボタンを見ながら、そう思う。


期待せず、興味をもたず、取り敢えずざっと目を通して適当に感想を言えば良い。


そう言い聞かせ、流れに乗ってエレベーターを降りる。


でも。

面白くなかったら、

何も感想がなかったら、

良いところを見出せなかったら、

どうすれば良いのだ。


笑顔を振りまく受付のお姉さんを横目で見ながら、扉を潜る。


扉の向こう側。

丁度よい空調が効いたその空間には大人が沢山いて、高級感溢れるその空間に、制服姿の私たちは異物だった。


赤いふわふわのカーペットも、

白い壁も空々しい。


なんとなくそわそわして、それを気付かれたくなくて、ふくれっ面で、足を進めて、写真の前に立った。


目の前に立って、写真に焦点を合わせると、

目に色や形が入ってくる。


けれどその前に

目の中に飛び込んでくるもの。

世界。


そこにあった色は、形は、

チラシに刷られたものや、チケットに刷られたものとは全然違うものだった。



どぎつさや、グロテスクさはなかった。

艶めかさではなく、

新鮮な艶やかさや、深みがあった。


俯いた影があった。


最初に感じた気持ちと、真逆の気持ちを見つめた。


嫌いなものは、嫌いじゃなくなり、

主張は寂しさに感じた。


分かってもらえない。

分かり合いたい。

不器用な気持ち。



その中の、波という写真が大好きになった。


ずっと見つめる事ができた。


静かにこちらに打ち寄せる波。

砕ける水。

私の足元に、感じる事はずのない波を感じた。


そして、その先の海を見つめた。


遠いけど、そう遠くない未来。

そこに私は行くのだ。


彼はもういない。

あの日の私はもういない。

同じ波はもう来ない。

同じ日は二度と来ない。


けれど、

その時の波はずっと閉じ込められて、

世界の何処かでひっそり息をしている。

生きている限り、また会える。


あの時感じた心の動きが

私の笑えるような若さが

また探しに行けば会えるのだ。


意見は方向を変えてみれば、違う顔を見せる事がある。


静かに見守ってるくれた大人たち。

そして少しずつ見守る事を覚えた私たち。


何度も波に消された足跡と。

それでも残したいと思った足跡と。



芸術はずっと残る。

誰かの中に。

私の中に。


誰かが死んでも。

私が死んでも。


私は、あの時も、今もそう感じてる。







カーネーション

今日も皆さんお疲れ様です。


母の日ですね。

皆さん、どんな日をお過ごしになられたのでしょうか?


今日は沢山の親子連れをお見掛けしました。


仲良しの親子も、

仲良しじゃない親子も、

きっといるんだろうけど、


命懸けで産んで

命懸けで産まれてきて


きっときっと一緒に支え合えるように

あなたの事を愛する為に

生まれてきたんだよね。


それは少し泣きたくなる事。


不思議だ。


結ばれる結ばれないってなんだろな。


少しでも近くに行ったり、

ずっと遠くに行ってしまったり、

結ばれない縁もあったはずなのに。


どの縁も最初は

憎む為に結ばれるのではなく、

愛する為に結ばれるはずで、


けれど

人生そんな風に上手くいかなくて

絡まったり切れたりする。


引きちぎったものも

引きちぎられたものも

全部自分を作ってきたもの。



私は今日、お仕事して、

残業して帰ってきました。


帰りにはお店が開いてなかったので、

コンビニでお母さんのお供え用のチョコを買ったら、おまけに小さなカーネーションを貰いました。


ちょっと疲れてたから、

何となく親子というものに寂しさを感じてたから。


待たされてる事に、少し悲しくなって、イライラしてた。


でも、ニッコリ笑ったお姉さんを見て、

なんだかそれだけで泣きそうになってしまった。


優しくない私は

もう少し優しくなろうと思いました。


母の日おめでとう。


明日も皆様、頑張りましょう。





Baby,God Bless You

お世話になっている人の所に

今日赤ちゃんが産まれた。


ずっとずっと待っていた赤ちゃん。


お母さんの身体を

赤ちゃんの身体を


見守るみんなは

心配で心配で。


最初のお願いはただ一つ。


お母さんと赤ちゃん。


母子ともに健康で産まれてきてほしい。


それだけなんだよね。


他の希望は落ちついてからで、

最初の最初に神様にお願いする事は

ただ一つ。



なんの力もないちっぽけな私だけど


なんにも思ってないこの日常が

その子にとって、

今一緒に育っていくこどもたちにとって

幸せで明るい未来になってほしいと思う。


今夜の星が全部希望になって

みんなに降り注げばいいな。


Baby,God Bless Youを聴きながら

そう思う帰り道。








叶わなくったっていいもの

今の人生はおまけみたいなものだから、

叶わなくったって良いものだってある。


欲を言えば叶ってほしいけど、

それはなんだか欲張りすぎな気がする。


誰かと出会って、誰かと別れて

思い出の中でまた会えれば


何処かでずっと笑っていてくれれば


それで良いのだなぁ。

とそう思う。


死んでしまった人や生き物には

この世ではもう会えないけれど、


生きている誰かには

少しだけでも優しくしたい。


会えなくても、何処かで笑ってくれれば

会えなくても、何処かで感じてくれれば

私も嬉しくなれるから。


それだけが

その気持ちだけが

私を動かす力になる。



おまけみたいな人生だから

手放しても良いのだけれど


それは誰かと約束した事だから。

忘れてはいけない事だから。


欲張りだけれど

もう少しだけ頑張る。







清塚信也さんピアノコンサートにて

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つい最近、清塚信也さんのコンサートに行きました。


正直、ピアノコンサートというものは初めてで、ドキドキしながら一人で行ったのですが、軽快なトークと分かりやすい説明で、私なんかの素人でも緊張せず音楽の魅力を近くに感じ味わえ、とても充実した時間を楽しむ事ができました。


その中で、

はっと気づいた事がありました。


Four seasons Medleyの春よ、来い(松任谷由実さん)の音を聴いて、あの音は桜が舞い散る音だったんだ!という事です。


違うかな?


まあ。真相は分からないのですが。

私は一瞬にして桜吹雪の中へ。


そして、春夏秋冬を感じたのでした。


以前、坂本龍一さんの曲を聴いた時と同じ、目の前の景色を一瞬にしてグワッと変えられ、雪の中に埋もれていく感じと同じ気持ちになったのをお伝えしたかったという話。


勿論、他の曲も素敵だったんですが、

ちょっと衝撃でして。


やはり本気で物事に向き合わないと、その半分も相手に伝わらないんだなあ。と。


並んでいる間、小さな男の子が、サインしてもらうページを一生懸命探していて、それをすごく愛しく思いました。


私もいつかそういう事が出来るようになりますように。



アンコール時の写真です。

拍手しながら携帯起動させんの難しかった。。!笑


何がなんだがわからないけれど。

何がなんだかわからないけれど。

そういう事ってあると思います。


泣いたり、怒ったり、笑ったり。


まあ。とにかく何がなんだかわからないけど、とにかく書くことにします。